僕たちの国日本に権力者が現れたのはいつごろだろう。
そもそも権力者とはどのように現れるのか。
今回はこの辺りを深掘りしてみたい。
政とは祭(祀りごと)であった
中学生の頃、父と一緒に大河ドラマを見るようになって不思議に思ったことがある。「まつりごと」という単語。大河ドラマでよく耳にするこの単語。
当時の僕は「まつりごと」が政治のことだとはついぞ思わず、昔の偉い人たちは祭り事、つまり祭祀に非常に価値を置いていたんだなと考えていた。高校に入る頃にまつりごと=政治と何かで知ったのではあるが。
だが、どうやら僕のこの解釈は当たっていたようである。「まつりごと」とは古代、その音のままに「祭り事」であった。そしてその祭り事を司る巫女が現在で言うところの政治家の役目を担っていた。民の声を聞く代表者でなく、神の声を聞く代表者として。
そう。日本史の勉強を始めて最初に出会う重要人物。その人は、神の声を聞く巫女であった。神の声を聞くことと政治が未分化であった時代(祭政一致の時代)。王の座にあったのは巫女の卑弥呼であった。鬼道と呼ばれる呪術的な力で邪馬台国を治めた女王である。
人はいつ争うようになったか?
身近に考えよう。あなたのこれまでの記憶を遡ってほしい。正直社会という名の大きな世間もあなたの周りが拡大しただけのものなんだから。人のやることなんてどんなサイズの空間でもさして変わりはしない。
幼稚園・保育園、小学校、中学校、高校。あなたはどんな争いを経験してきただろう?
幼い頃のケンカ、小学校高学年から中学校にかけての口喧嘩、高校では、そうだな、生徒会の選挙とか?
ここで気づいてほしいことは、歳を重ねるごとに争いの勝敗が何で決まるようになったかの変遷だ。
本当に小さい頃は腕っぷしの強さ(ケンカの強さ)で勝敗が決していたはず。だけど、中学校に入るあたりから数の強さが力を持つようになったのではないだろうか。だから中学高校でいじめがエスカレートすると大変な事になるわけだが。1対多数という構図ができあがってしまうわけだから。
そう。社会では数の強さが絶対の力を持つ。だから稲作が伝播し、人々が集団を作るようになった弥生時代以降、縄文時代はケンカで済んでいた争いが戦争に取って代わったわけである。これが集団(社会)の恐ろしさだ。
古代日本社会で力を持った人
日本では稲作の伝播とともに村を守る文化、言い換えれば、戦争がもたらされたと考えられている。縄文時代晩期から弥生時代のはじめ、日本にも社会というものが形成されだした。そして、長い長い現代まで続く戦争の歴史が始まった。
このことは山川日本史にも記されているし、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で発掘された甕棺に入った首なし人骨の例でも証明できるだろう。
弥生時代、戦争は始まったのである。
では弥生時代の戦争の原因はなんだったか?
これは前段でも述べた通り、稲作の伝播、発展と密接に関わっている。なぜなら、稲作には土地も水も人もいる。足りないものをめぐって人々は戦争を行った。
ふと書いていて気づくのだが、弥生時代も現代もそういう面では何も変わらない。なぜなら、次の戦争は水と空気を求めて起こると言われている。そう考えると戦争の原因は弥生時代も現代もまったく変わらないのだ。弥生時代(紀元前5世紀)と現代(西暦2024年)。人のやっていることの変わらなさに少し寂しさを覚えるのは僕だけじゃないだろう。人間は僕らが思っているほど進化していないのかもしれない。
だがもちろん現代(科学文明隆盛の時代)と古代で決定的に違う点もあった。それは、社会の力がどこに集約されていたかという点だ。
現代の僕たちは政治を考えるとき何を重視するだろう?難しければテレビのニュース番組を見るといい。そう。経済だ。景気の良し悪しによって内閣が責任を取らされたり、何かミスをしても経済さえ良ければまあ許されたりする。これが現代だ。経済の良し悪しが政治の安定不安定に直結している。
では、古代はどうだったか?これも実は経済ではあったのだが経済の見方が違っていた。そもそも古代の経済とは何だったか?それは、素朴に土地・水・人が作り出す食料であった。そこにはネットの中に無限の可能性を見るIT企業も自然エネルギーをお金に変える環境開発企業も存在しない。ただ純粋な土地・水・人の足し算があった。足りなければ獲りにいく。それしかなかった。
ではどこに獲りにいく?それを決めたのが神からの言葉を預かる預言者(今で言う巫女)であった。だから必然的に巫女に力(権力)が集中していった。そしてこの巫女の最大の有名人が卑弥呼である。
歴史への想像力の源泉
みなさんに歴史を学ぶとき心がけてほしいことがある。僕たちが学んでいる日本史とは、今の人間とほとんど変わらない昔の人々が紡いできた物語そのものということである。もちろん日本の遠い遠い過去の記憶ではあるのだけど。
だから実はそんなにかしこまって学ぶべきものではない。今を生きる僕らの現実に則した想像はそれほど的外れなものにはならない。ぜひあなたの現実と想像力をフルに使って歴史の謎に挑んでほしい。ちなみにこんなふうに歴史を学ぶ姿勢は僕が同志社大学で日本史の講義を受けているとき教授から伝授されたものだ。
別に昔の人は特別じゃあない。僕たちと同じ社会に生きた人間だ。
いきなり戦争が起きるわけがない。必ず理由があり、戦争することを決めた指導者(権力者)がいる。
現代は民主主義によって選出された政治家が指導者の役割を担っている。しかし古代は民主主義ではなく呪術主義によって選出された指導者がいただけなのだ。統治の仕組みは変わっていない。
だからみなさんも現実把握能力をフルに使って歴史を学んでみてほしい。そうすることで必ず難関大学の問題も解けるようになるから。
旧帝大の大学院で有名な教授たちから直接指導を受けていたからわかる。有名な教授だろうとじつは受験生のみなさんとほとんど変わらない材料しか持ち合わせていない(高価な古文献に直接あたれるアドバンテージはあるにせよ)。資料と論理、そして直感。使えるのはこれだけだ。だから受験生のみなさんは過剰に日本史の勉強にストレスを感じるのはやめてほしい。ちょっと立ち止まって現実社会を見てみる。そうしてその視点をそのまま歴史を見る視点へと昇華してみる。そうすることで歴史は所詮僕たちとほとんど変わらない人たちが作り上げてきたものなんだとわかるはずだ。
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